先週日曜に行った渡部邸。
とは言ってもお客様のリフォーム工事打合せじゃ〜ありません
松山市の東方町に有る、国指定の重要文化財渡部家住宅に、妻の誘でふらりと出向いてみたのです。そもそも建築屋でありますから建物を見る事に興味は有りますが、松山に住み着いて30年以上に成るのにここを訪ねる事は有りませんでした。松山に来た当時、初期の現場がこの近所だったことで、渡部家の住宅である事は当時から知ってはいました。が、私は今までずっと、人が住んでいるものと、思っていたのです。勿論重文で在ることは知っていました。
何れにせよ、来て良かったと思ったので少し載せてみます。
井出創太郎氏のイベントとして ”渡部家住宅その光と記憶 第三期「光との対話」”最終日だったのです。何も知らず後の無い最終日にたまたま来たことが得したように思ったのと、井出創太郎氏の銅版画を見れた事が、プラス良かったと思ったのです。渡部家の建物も立派で、見る価値は十分に有りました。以下


渡部家は戦国河野氏時代から現在の東温市南方で代々庄屋を務めていた。江戸末期この松山市東方町において年貢米が松山藩に上納されない状態になった。そこで村経営の建て直しのため松山藩主の君命により当時の南方渡部家の三男渡部操長綱が入り庄屋(いりじょうや)として1844年この地に分家した。これが東方渡部家の始りである。その初代渡部操が1866年に建築したのが現在も残っている重要文化財の住宅である。四代目渡部浩三氏(当主)として現在に至っている。

”重信川の南の野に建つ家”という意味らしいです

玄関の間(襖に催した井出創太郎の銅版画)

表座敷の床の間(井出創太郎氏のオブジェだとか)何に見えますか?
感想として渡部家重文に乗っかって井出創太郎氏の宣伝?て言う感じ?
井出創太郎氏がどんな人かも知らずに言っている私ですが…
posted by home doctor at 19:07| 愛媛 |
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